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最高裁判所第一小法廷 昭和62年(あ)114号 判決 1987年12月03日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山田有宏、同小松正富及び同松本和英の上告趣意のうち、第一審裁判所の構成に関して憲法三一条、三七条一項違反をいう点は、後記のとおりの経緯により当該事実についての証拠をいつたん取り調べたことのある裁判官が、引き続きその事実を含む第一審の審理、判決に関与したからといつて、右裁判官に不公平な裁判をするおそれがあつたとはいえず、憲法三一条、三七条一項に違反するものでないことは、当審大法廷判例(昭和二四年新(れ)第一〇四号同二五年四月一二日判決・刑集四巻四号五三五頁)の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がなく、判例違反をいう点は、所論引用の判例はすべて事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法三一条違反をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。

なお、第一審裁判所は、誤つて元の訴因の事実とは併合罪関係にあり公訴事実の同一性がない事実につき訴因追加を許可し、その追加された訴因の事実についての証拠を取り調べた後に、右誤りを是正するため、まず右訴因追加の許可を取り消す決定をし、次いで右証拠の採用決定を取り消す決定をしたうえ、改めて追起訴された右追加訴因と同一の事実をも含めて、更に審理を重ね、判決に至つているが、右各取消決定について刑訴法にこれを認める明文がないからといつて、このような決定をすることが許されないと解すべき理由はなく、これと同旨の理由により右第一審訴訟手続を適法とした原判決の判断は正当である。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大内恒夫 裁判官角田禮次郎 裁判官髙島益郎 裁判官佐藤哲郎 裁判官四ツ谷巖)

弁護人山田有宏、同小松正富、同松本和英の上告趣意(昭和六二年三月一四日付)

第一、本件第一審には、次のような審理経過と、違憲・違法・判例違反の措置が認められる。

一、1 昭和六〇年九月二〇日付起訴状記載の有印私文書偽造、同行使、詐欺未遂の公訴事実(第一審判示第五の事実と同一、以下、新宿郵便局関係事実と略称する)は、初めに第二回公判期日(昭和六〇年三月一二日)において、検察官の請求により、昭和五九年一二月二七日付起訴状記載の有印私文書偽造、同行使、詐欺の公訴事実(原判示第四の事実と同一、以下赤坂郵便局関係事実と略称する)に訴因として追加されたものである(裁判所は右訴因の追加を許可)。

2 第三回公判期日(昭和六〇年四月二三日)において、新宿郵便局関係事実の立証のため、検察官請求の証拠関係カード甲番号1、2、21、22、47ないし60、84ないし95、101、107ないし110、112、116ないし119、120、123ないし126、128、131、ないし136、139、140、206、乙番号1ないし5、8、12ないし15、19ないし25、30、31、33、34、46の各証拠につき採用決定がなされ、その取り調べが行なわれた。

3 第七回公判期日(昭和六〇年九月一八日)において、検察官は新宿郵便局関係事実につき、訴因及び罰状を撤回し、裁判所は右撤回を許可し、第二回公判期日においてした訴因追加の許可決定を取消す旨の決定をした。

4 新宿郵便局関係事実については、昭和六〇年九月二〇日付で公訴が提起され、第八回公判期日(昭和六〇年一一月一三日)において、右事実について審理が開始されたが、検察官は右事実につき、先に第三回公判期日において取り調べを終わつた前記2記載の各証拠については、その請求を撤回すると申し立て、裁判所は右の各証拠の採用決定を取り消す旨の決定(排除)をした。

5 第九回公判期日(昭和六一年一月二二日)において、検察官は前記4のように公訴を提起した新宿郵便局関係事実の立証のため、先に取り調べが行なわれ、次いで撤回・排除された前記2、4記載の証拠の取り調べを改めて請求し、裁判所はこれを採用して取り調べがなされた。

ところで、赤坂郵便局関係事実と新宿郵便局関係事実とは、公訴事実の同一性がないものである。刑訴法三一二条一項によれば、訴因の追加は公訴事実の同一性を害しない限度においてのみ許されるのであるから、第一審が前記1のように新宿郵便局関係事実につき、訴因の追加をしたのは違法である。右事実は、赤坂郵便局関係事実とは併合罪の関係にあつて、公訴事実の同一性の枠外の事実なのであるから、本来追起訴の手続きによつてのみ審判の対象とされるべきものであつたのであり、訴因の追加という形をとつて審判の対象として呈示されたとしても、それは訴因として認めるに由ないものであるといわなければならない。しかし、違法な間違つた手続きにせよ、新宿郵便局関係事実は、第一審の訴因追加許可決定によつて、訴訟手続上の現象としては、事件として裁判所に係属するに至つたことは疑いのないところであるから、この違法な事件係属状態を事後的に解消する措置を執ることは、手続進行上、審判の対象の明確化を期する上で必要なことといつてよいであろう。第一審はそのやり方として、前記3のように、検察官による訴因の撤回、裁判所による訴因追加の許可決定を取り消す旨の決定という方法を選んだ。しかしながら、刑訴法三一二条一項が規定するとおり、訴因の撤回もまた、公訴事実の同一性を害さない限度においてのみ許されるということを忘れてはならない。本件では、そもそも公訴事実の同一性がないのであるから、訴因の撤回も、訴因追加の許可決定の取り消しもできない筋合である。第一審のした取消し決定は、形は訴因追加の許可決定の取り消しであつても、その実体は、違法な事件係属状態を自ら違法と認めてその旨を宣言し、それによつて新宿郵便局関係事実を審判の対象から外すという趣旨の一種の非類型的な決定であつたと解釈すべきものである。新宿郵便局関係事実は、訴因の追加という方式で審判の対象にされたため、外形的には有効な訴訟係属があるような観を呈したとしても、実際には有効な訴訟係属がない場合であるから、その無効をそのまま放置せず、無効宣言により手続きの誤りを明確にしてこれに終止符を打つ形式的裁判が必要な訳であり、その裁判の方法としては「公訴棄却」以外にはありえない。刑訴法三三八条四号が準用されるべきであると思料する。前記第一審の1の訴因追加許可は、許可すべきでないのに許可したという点において、また、3の訴因追加許可決定取消決定は、違法な訴訟係属排除のやり方を誤つたという点において、いずれもその各時点において、訴訟手続きに法令違反があつたといわなければならない。第一審における検察官の訴因撤回・裁判所の訴因追加の許可決定の取り消しは、まさに公訴取消・公訴棄却の実体を間違つた形式で表明したものに他ならない。この誤りのため、ひいては後述の予断排除の原則違反を誘致することとなつたのであるから、第一審の違法なやり方が判決に影響を及ぼすことは明らかであると認められる。(因みに、別人が被告人の身代わりになつて審理を受けた場合も、その別人に対する訴訟係属があつたと見ざるをえないことになることも参考にして、本件の場合を検討されたい。例えば、被告人甲に対する被告事件において、乙が甲の身代わりとして出頭し、審理が進められた後になつて身代わりの事実が判明したときは、乙に対しては起訴という検察官の行為はないにしても、乙に対する訴訟係属は現に存在していると見ざるをえない〔いわゆる挙動説または行為説〕のであるから、乙に対しては刑訴法三三八条四号を準用して、公訴棄却をすることになる。これまた、誤つて訴訟係属が事実上生じうること、又、その後始末としては、右条文の準用によつて処理せざるをえないことの一例である。身代わりは訴訟係属の主観的範囲の問題であるが、訴訟係属の客観的範囲の問題についても同一に考えてよい。)

二、検察官は、昭和六〇年九月二〇日付起訴状により、新宿郵便局関係事実につき公訴を提起したが、右事実は、第一、一、1、3で述べたように、第二回公判期日において訴因として追加され、第七回公判期日において撤回された事実と全く同一内容のものである。先に触れたとおり、右訴因の追加・撤回は、違法とはいえ、右事実は裁判所に訴訟事件として現実に係属する状態をもたらしたのであるから、これを解消・排除する措置としてなされた訴因の撤回は、実質上は公訴の取り消しとしての意味を持つものである。公訴の取り消しは、第一審の判決があるまでできるが、その後、犯罪事実につき、あらたに重要な証拠が発見された事情もないのに、同一事件について更に公訴を提起することは、刑訴法三四〇条に違反するから、同法三三八条二号により、本件新宿郵便局関係事実の公訴は棄却されるべきであつたのに、公訴棄却の判決をすることなく、右事実につき審理・判決した第一審の裁判には、訴訟手続きの法令違反があつたといわなければならず、またその違反が判決に影響を及ぼすことも明らかである。また、前記第一、一、2、4、5、で述べたように、検察官は右公訴事実立証のため、第九回公判期日において、既に第三回公判期日で右事実立証のため証拠調べがなされた証拠と同一の証拠の取調べを請求し、裁判所はこれを採用してその取り調べを終えた。これは同法二五六条六項の予断排除の原則に違反する。たしかに形の上では第八回公判期日において、右の各証拠について、検察官はその取調請求を撤回し、裁判所は証拠採用決定を取り消す旨の決定をしている。しかし、右の各証拠は、既に第三回公判期日において取り調べ済みのものである。取り調べが完了した証拠の撤回や採用決定取り消しは理論上不可能であり、許されない。ただ、場合によつて、証拠排除決定(刑訴規則二〇五条の六、二〇七条参照)をすることは可能であろう。しかし、排除決定ができるのは、その証拠によつて立証しようとする審判の対象が存在している場合に限るのであつて、審判の対象が不存在となつた段階では、証拠の排除決定ということはありえない。前記第一、一、3で述べたように、審判の対象である新宿郵便局関係事実は、第七回公判期日において、いわゆる「訴因の撤回」「訴因追加許可決定取消決定」がなされて、完全に審判の対象外に消え去り、ただ訴訟記録上にその残骸をさらすだけで、当事者も裁判所も立証上のいかなる配慮をもする必要のない状態になつていたのであるから、その証拠の排除決定などということは全く無意味なことであり、いわば絶対無効の行為として無視して差し支えない、否、むしろ無視すべきものであつたというべきである。ただ形の上だけで「訴因」を撤回したり、訴因追加許可決定を取り消したりする措置を執つてみても、右の各証拠によつて既に形成された裁判所の心証を消すことはできない。心証を消す作用があるとすることは許されない擬制である。起訴状一本主義の原則が、正にこのような擬制を許さないものとして考えられなければならない。裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある証拠が、事前に誤つて公判廷に顕出されたことによつて生じた違法は、その性質上、もはや治癒することができないのである(最判昭和二七・三・五刑集六巻三号参照)。

以上の理由により、昭和六〇年九月二〇日付起訴にかかる事実について、第一審裁判官がその審理・判決に関与することは、右の原則に反することが明らかであるから、仮に、右の公訴の提起が有効であるとしても、その場合には、右裁判官とは別個の他の裁判官によつて審理・判決をする措置が講じられるべきであつたといわなければならないのに、第一審裁判官は漫然と右の起訴を有効として肯認したのみならず、自ら審判にあたり、重ねて同一証拠の取り調べをした。これは憲法三七条一項の公平な裁判所の要請を踏みにじる行為である。

本件公訴を有効と認めた点においても、また審判に関与すべきでないのに関与したという点においても、その違法は刑訴法三七七条二号並びに同法三七九条により、本来、控訴審において正さなければならなかつたものであると思料する。なお、本件においては、右起訴事実は被告人の認めるところであり、争いのないものであるが、訴訟手続きの適正と公正の確保は、個々の犯罪事実の存否を離れ、それとは次元を異にする対世的にも重大な国家的関心事でなければならない。

第二、ところで、原判決は、右に述べた第一審の違憲・違法・判例違反の措置をすべて適憲・適法として是認し、控訴を棄却した。これは、最高裁判所、高等裁判所の判例と相反する判決をしたものであり、また、憲法違反または憲法の解釈に誤りがあるものといわなければならない。以下、若干補足する。

一、原判決は、「追加された訴因について、後にそれが公訴事実の同一性を害するものであることが判明した場合には、これを是正するため、訴因追加の許可を取り消す決定によつて、その訴因を審判の対象から排除するのが相当であり、この点に関する原裁判所の措置に所論のような違法は認められない」という。

しかし、併合罪の関係にある犯罪事実を公訴事実から取り除くには、必ず刑訴法二五七条、刑訴規則一六八条の手続きをふんで公訴を取り消さなければならないのであつて、訴因の撤回や訴因追加の許可決定の取消し決定等の手続きによつてすることはできない。この趣旨の判例は数多く存在する。例えば、昭二七・四・二四、東京高(高刑集五・五・六八六)、昭二七・三・四、広島高・高岡支(高刑特報二〇号一三九)、昭二八・四・二〇、福岡高(高刑特報二六・一三)、昭二九・一・二六、東京高(東高刑時報五・一・一六)、昭三〇・五・七、高松高(高刑特報二・一〇・四五六)、昭五〇・三・二七、広島高・岡山支(刑裁月報七・三・一七〇)。そして、また、公訴の提起がないのに事実上訴訟係属が生じたときには、刑訴法三二八条四号により判決で公訴を棄却すべきことは、昭五七・三・二三、東京高(高刑速報昭和五七年一七七頁)、昭和四一・二・五、東京地(下級刑集八巻二号二七八頁)が判示するところである。

右の諸判例に徴しても、原審が判示するところは到底是認することができない見解である。あえて原判決に対して設問する。もし、仮に第一審が新宿郵便局関係事実について、訴因の追加がなされた直後、直ちに公訴棄却の裁判をしていたとしたら、原判決は右公訴棄却の裁判を違法と判定したであろうか。おそらく否であろう。あるいは原判決は、公訴棄却の裁判であろうと、追加訴因許可取消し決定であろうと、そのいずれの方法を選んでもよいとでも言うのであろうか。後者のやり方は、追起訴への道を開くには便宜であるにしても、このような措置は明らかに法令に違反するものといわなければならない。もし、この措置に、なんらかの法的に有効な意味を付与させるとすれば、それは先に言及したとおり、第一審の決定は、形は訴因追加の許可決定の取消し決定であつても、その実質は、新宿郵便局関係事実についての違法な事件係属状態を審判の対象から取り除くという趣旨をもつた一種の非類型的な公訴棄却の決定であると解釈するほかはないものである。

原判決はまた、「もともと公訴の提起がなく、独立した公訴として取り扱われたこともない訴因を排除するのに、公訴棄却の判決をするのは過分であり、賛成できない」という。しかし、公訴提起という定型的な訴訟行為がない場合でも、事実上訴訟係属が生じた時は、これを公訴提起があつた場合に準じて、公訴棄却の裁判によつて違法な訴訟係属に終止符を打つ以外には、違法状態を消滅させる方法がない。原判決のように、正式の公訴提起と目すべきものがあつた場合でなければ、公訴棄却の裁判は許されない、と解すべき理由はない。

以上、要するに、本来公訴を棄却すべきであつたのに、かかる措置を採らず、訴因追加の許可取消しというやり方で違法な訴訟係属状態を一たん解消する形式を整えたうえで同一事件について更に公訴を提起して処断することを認めた原判決は、刑訴法三三八条二号、三四〇条に違反するのみならず、憲法三一条にも違反し、また前記諸判例とも相反する判断をしたものである。また、その訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。

二、新宿郵便局関係事実については、昭和六〇年九月二〇日公訴が提起され、第一審第八回公判期日において右事実の審理が開始され、第九回公判期日において関係証拠の証拠調べが行われた。ところで、先に触れたように、右の証拠はすべて既に第三回公判期日において同一裁判官によつて右と全く同一の事実の証拠として証拠調べが完了していたものである。第一審裁判所の裁判官の本件事実に対する審理・判決関与は、「公平な裁判所」の裁判を受ける権利を保障した憲法三七条一項に違反する。予断排除の原則は、裁判官の予断偏見を防止し、公平な判断を保障するために必要な憲法上の基本的原理として認められているものであつて、「公平な裁判所」の概念の一内容をなす。それは受訴裁判所が公訴事実を知るのみで、どのような証拠があるかについては事前に予備知識を持つことなく公判に臨むことを要求する。もつとも現行法上、第一回公判前に勾留質問をした裁判官や、起訴前に証人尋問をした裁判官が、刑訴規則一八七条二項等により審判に関与し得る場合があること、また差戻し・移送後の審理では、第一回公判前に記録を読んでも差し支えないことは、一般に承認されているわけであるが、それは制度上、その必要性が認められる例外的な場合であり、本件はそれと同一に論ずることはできない。昭和二六・九・三、札幌高(高刑集四・八・一〇四四)は、第一回公判期日前に裁判所が被害始末書を閲読したときは、判決に影響を及ぼす法令の違反がある、としている。また、昭和四九・三・八、東京高(時報七四三号一一〇)は、検察官が第一回公判期日前に求釈明に応えて、犯行場所特定の釈明として証拠図面の写を提出したことは、刑訴法二五六条六項の趣旨に反し違法である、としている。本件の場合は、公判期日の審理に先立ち、同一証拠が漏れなく全部、それ以前の公判期日の公判廷において同一裁判官によつて正規の証拠調べの方式に従つて取り調べられているのである。これは正に予断偏見の最たるものといわなければならない。

原判決は、「それらの証拠については採用決定を取り消す決定をするのが相当であり、この点に関する原裁判所の措置に違法は認められない。そして、このような措置がとられた本件においては、同じ原審裁判官が過去に取り調べをしたことのあるそれらの証拠を、追起訴事実の審理において再び証拠として採用し、取り調べて判決をしたとしても、予断排除の原則ひいては公平な裁判所の裁判の要請に反するものとは解されない。」と判示する。原判決のいわゆる証拠採用決定取消し決定は、前に指摘したとおり、当該証拠の取り調べが済んだ後においては、理論的に不可能であり、右決定は証拠排除決定に転換して理解するほかないものであるが、証拠排除決定にしても、そもそもこの制度の趣旨は、証拠調べが行われた後になつてその証拠が証拠能力がないものであることが判明した場合には、当該証拠を証拠として排除する旨を宣明することによつて、当初、右証拠を申請した当事者に対しては、さらに必要な立証を尽くす機会を与え、また相手方当事者に対しては、無駄な不経済な反証活動をさせる労を省かせることを狙いとして設けられた規定であるから、第一審裁判所のした証拠採用決定取消決定(排除決定)の措置は、本来、証拠排除の制度が全く予想していないところであつて、前に述べたように、全く無意味な絶対無効の訴訟行為である。要するに、それは、違法に訴因の追加を許可し、違法に証拠調べをした自らの誤りを認めて、事後的に単なる形式的取り繕いをしただけの無価値な行為にすぎない、というべきであるから、これを法的に有意味な効果を有する措置として是認した原判決の見解は誤つているといわなければならない。第一審裁判所によつて形式上このような措置が執られたからといつて、既に第三回公判期日においてなされた証拠調べの結果得られた裁判官の心証を消去することはできないのである。この点については、昭二七・三・五最判(刑集六・三・三五一)は、起訴状に同種の累犯前科が記載されていた事実についての判例ではあるが、「公訴犯罪事実について、裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項は、起訴状に記載することは許されないのであつて、かかる事項を起訴状に記載したときは、これによつて既に生じた違法性は、その性質上、もはや治癒することはできないものと解するを相当とする。」と判示している。

この判例の趣旨からも言えるように、裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある証拠が、事前に誤つて公判廷に顕出されて取り調べられたことによつて違法に形成された裁判官の心証を除去する方法は存在しないのであり、また裁判の公平性を回復する手段もないのであるから、追起訴された新宿郵便局関係事実についての審理・判決は、既にその証拠を取り調べてしまつた裁判官とは別の他の裁判官によつてなされなければならなかつたものというべきであり、そのような措置を講ずることは、事件の配点替えや転補等の方法で容易にできたはずである。にもかかわらず、特段の首肯するにたる正当な事由もないのに、あえて同一裁判官が自ら審理・判決をしたことは、予断排除の原則ひいては「公平な裁判所」の裁判の要請に反し、憲法に違反するのみならず、前掲最高裁判例と相反する判断に基づく訴訟行為をしたことになる。そして、これらすべてを是認した原判決は、違憲・違法・判例違反のそしりを免れない。

「公平な裁判所」の裁判とは、もともと偏ぱや不公平のおそれのない組織・構成をもつ裁判所の裁判をいうのであるが、それとともにそれは、裁判官が法の定める訴訟手続きを厳正に履践して、一般的・対世的にも客観的に「公平な裁判所」としての外観を維持・確保することによつて初めて保障される適正手続きの公正をも要求するものである。いかに当該裁判官が、違憲・違法な手続きによつて得た心証を心裡面から一たん払拭して主観的には公平な心境になつていたにしても、その行つた訴訟手続きの在り方・態様・形態等の外形自体が、法の定める基準に照らして著しく違憲性・違法性が大きい場合、換言すれば、憲法三一条の適正手続条項の精神・趣旨に反し、国民一般の目から見て、断罪の手続的公正を疑われてもやむをえないような瑕疵がある場合は、その裁判は「公平な裁判所」の裁判とはいえないのである。

原判決は、「なお、右の追起訴事実については、それが先に追加訴因の形であつたときと全く同様に、事実関係に争いがなく、請求のあつた証拠も総て同意書面として取り調べられているのであつて、結果的に、原審裁判官が先に同じ証拠を取り調べたことがあるために、事実認定に影響を生じたとは考えられないから、この見地からしても、原判決に所論の違法はないといわなければならない。」と判示する。この判示は、被告人が犯罪事実を自白し、証拠にも同意し、犯罪事実の認定が真実に合致してさえいれば、予断偏見や「公平な裁判所」の問題は、すべて解消するとでも考えているのであろうか。しかし、予断偏見や「公平な裁判所」の制度は、事実に争いのない自白事件であるかどうか、裁判官が現実に主観的心証として予断偏見を抱いたかどうか、そのため真実の認定を誤つたかどうか、という主観面・実体面の次元だけの問題にとどまるものではない。それは今一つの別の次元、すなわち行われた手続き自体が適法であつたかどうかという客観面から見た裁判の公正さの保障をも要求するものである。つまり、主観面・実体面の問題を一応捨象して、訴訟手続きそのものを客観的に眺めた場合に、そのやり方が一般人に予断偏見の危惧感を抱かせるようなものであれば、そのような手続きを行つた裁判所はもはや「公平な裁判所」の資格に欠けるものとして、そのなした裁判を否定すべきものとするのが、憲法の基本的約束事であるといわなければならない。その意味では、予断偏見・「公平な裁判所」の制度は対世的なものであり、憲法三一条は法の定める客観的基準に従つた適正手続きを遵守する「公平な裁判所」の存在を国民一般に対して保障する機能を営むべき規定である、といわなければならない。原判決にはこの視点からの判断が欠落している。

なお、蛇足ではあるが、公訴事実の同一性の範囲外の訴因の追加も、その方式が追起訴の場合と同じであり、審理の対象、範囲が明確になつていて、被告人の防禦に実質的な不利益を生じさせるおそれがないような場合には、あえて訴因を撤回し、改めて公訴提起の手続きを執ることなく、そのまま判決しても違法でない、とすることも許されない。もし、このような見解が是認されるとなると、例えば、窃盗の事実について公訴が提起されて審理中、殺人の事実が訴因として追加されたような場合でも、前記のような条件が満たされておれば、殺人について追起訴の効力が認められ、有罪の判決を言い渡すことが可能である、ということになる。併合罪関係にある犯罪事実については、厳格な手続の形式性が要求されるのであつて、この手続きを省略して刑罰を科することは、明らかに憲法三一条に違反する。この点に関連する判例としては、昭和四一・七・一三最判(刑集二〇・六・六〇九)がある。この判例は「起訴された犯罪事実の他に、起訴されていない犯罪事実をいわゆる余罪として認定し、実質上これを処罰する趣旨で量刑の資料に考慮し、これがため被告人を重く処罰することは許されないものと解すべきである。けだし、右のいわゆる余罪は、公訴事実として起訴されていない犯罪事実であるにかかわらず、右の趣旨でこれを認定考慮することは、刑事訴訟法の基本原理である不告不理の原則に反し、憲法三一条にいう、法律に定める手続きによらずして刑罰を科することになる。」と判示している。

以上、要するに、誤つて訴因として追加された事実につき既に証拠調べを終えた裁判官が、その後正規に追起訴された同一の事実につき前と同じ証拠を取り調べて有罪判決をしたことを違法でないとして是認した原判決は、前記憲法各条に違反し、また前記諸判例とも相反する判断をしたものであり、破棄せるべきものであると思料する。

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